最後のありがとう
今年、同月に法事が2度あった。
一つは父親の法事、その三週間後が祖父の一周忌だった。
私が年を取れば取るほど、きびきびしていた祖父母の背中は曲がっていき、遂には祖父が倒れて入院して最終的に昏睡状態になって5年ほど経ったらしいが、その一生を病院のベッドで静かに終えた。
祖父は優しい人で、身内であることを差し引いても、こんなに優しい人がいるのかというくらい、本当に優しい人だった。
自分のためではなく人のためになることばかりして、ある時は近所の公園の遊具を直して、ある時は小さな水族館に自分が使っていた漁具を無償で寄付して発展させていた。
私が専門学校で一人暮らしをしていた時、飼っていた犬を留守番させないといけないといったら、朝早くから出てきてくれて一日犬の面倒を見てくれていた。
そして私が帰ってくるとすれ違うかのように家を出ていき、また自分の家へと2時間もかけて帰って行った。
それを、80近いお年寄りが、毎週木曜日にぴったり時間通りにやってくれていたのだ。
そんな私は祖父の存在を当たり前に思い、あーだこーだと文句ばかり言って、ひとつもありがとうと言わなかった。
たぶん言ったかもしれないけれど、本当に心から言った言葉は記憶がない。
それが言えたのは、祖父が人生を終えて棺桶の中へ密閉されて入っていた時だったのだから、祖父の鼓膜を私の渾身の「ありがとう」で震わせることがなかった。
祖父が亡くなった知らせを聞いたのは朝の7時で、祖父が亡くなったのは5時だったらしい。
その日は外せない用事があってすぐに帰れなかったが、用事を終えてすぐに実家へと戻った。
家に帰ってきていた祖父は、翌日の葬儀まで霊柩車とドライブに行ってしまっていて、夜遅くに家に到着した私は会えなかった。
世話になった愛犬を連れて戻ったけれど、愛犬に祖父を会わせてあげることは叶わなかった。
愛犬は今でも、祖父が脳梗塞で倒れて迎えに来れなくなった6年前から、いつだって駅を降りるとキャリーバックの中で暴れて、顔を出すと必死で祖父の姿を探すくらい祖父を待っていた。
翌日の葬儀の前、こっそり葬儀場にキャリーバッグに入れた犬を連れて行くことにした。
こんな席で家族が対立して揉めてしまったのだが、今日を逃すと本当に犬は会うことが出来ない。
家族の協力の元、愛犬を祖父へと会わせることが叶ったが、念願の祖父を対面した愛犬は、くんくんと軽く嗅いだ後にすぐに鞄の奥へと入って出てこなくなってしまった。
愛犬と祖父の仲睦まじさを知っていた家族はそれを見て泣き出してしまう程だったが、私は犬というのは死を慈しまない生き物だと改めて認識した瞬間でもある。
葬儀中、私は棺に花を添えながら一度だけ「おじいちゃん、今まで本当にありがとう」と言った。
本当に最後の、渾身の「ありがとう」だった。