転機はふたつ

三十年も生きていない私が人生を語るには早い気もするが、これでも人生の転機は何度か経験した。
一つ目は5歳の時に父が亡くなったこと。
亡くなったことが切欠で母の実家の方へと戻り、稲穂色の田舎生活が始まった。

二つ目は23歳くらいのころの出会い。
一つ目の転機がなければ、私にはこの出会いがなかったと思う。
それまでなんとなく、人の下で働くことで満足していて、とりあえずペットショップで働ければいいやと思っていた私が、まさか自分で事業することになるなんて夢にも思わなかった。
言いなれないけど、的確な言葉とするなら《師匠》という人に出会ったのだ。
切欠は何だったか思い出せないが、私は師匠の仕事を引き継ぐ形で自宅の仕事を始めた。
もちろんそれだけでは食べていけないので、別の場所でアルバイトをして稼いでいるけれど、いつか自分の仕事一本で生きていきたいと思っている。

仕事にやりがいがある

師匠は本当に面倒見がよく、旦那さんが居ない日はいつも私を呼んで夕食をご馳走してくれた。
動物のこと以外も、私が親から教えてもらえなかった一般常識を叩きこんでくれて、様々な知識を与えてくれた。
ある意味、母親より母親だったその人だったが、私は一度も褒めてもらえたことがない。
何をやっても「当然でしょ」というような人だった。
最初に「私ってめちゃくちゃ厳しいから、それで何人も辞めてる」「無理だと思ったら遠慮なく辞めていいから」という言葉を長く付き合っていた生活の中で、幾度となく経験した。
師匠は何でも出来る人で、私よりも頭の働きはよく、動き一つにしても指摘を受ける中で、私は自分が本当に劣っている人間だと落ち込んで帰ってから泣いたこともあった。
それでも何故か不思議と辞めたいと思うことはなく、私は師匠の言われるままに仕事をした。
もちろん、師匠ほど立派な仕事が出来なくて、お客さんに文句ばかり言われたけれど。
師匠の旦那さんが単身赴任になって一年後、遂に師匠も旦那さんの元へ行かないといけなくなった。
突然のお別れから2か月の猶予はあったけれど、前にも増して仕事の引き継ぎが増えた。
いつも私のバックには師匠が居て、師匠が居なくなるなら預けるのを止めるという人も居たが、水面下でそういう人を説得してくれていたのは他ならぬ師匠だ。
それなのに私は、最後の最後に、失望させて師匠を泣かせてしまった。
何とか払拭しようと全てを投げ出して私は師匠に尽くしたが、人の信頼なんてそう簡単にどうにかなるものでもない。
取り繕った師匠との別れを終えて、師匠は私がアルバイト中にこの土地を去って行った。
あれだけ深かった関係もぎこちないまま終わってしまったが、もう二度と会うこともないだろうと私はいつものように考えていた。
その夜、師匠からメールが届く。
長くつらつらと語られたメールは、相変わらず私がいかに頼りないか、いかに出来ていないかという内容かと思いきや、最終的にそれはすべて私を褒めているメールだった。
私が旅立ちの時に居なくて直接言えなかった。
本当は言わずに去るつもりだったけど。
という一言が添えられていた時、私は涙が止まらなかった。
今までの悲しい涙とは違う、暖かい涙だった。
そのメールがあったお陰で、私は今でも師匠との関係は続いている。
師匠の友人もこちらに居るので、その方達から悪い噂が届かないように、一所懸命仕事を続けている。
そして来年、私と師匠は三年ぶりに会うこととなったのだ。

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