何事も努力
たかだが30年も生きていない私ではあるが、頼りないアラフォーよりは使えると自負している。
これもひとえに、師匠からこっぴどく叩き込まれたお陰でもあるのだが。
私が出会ってきた頼りないアラフォーは、皆口々に「若いっていいわね。私には無理だわ」といってすぐに諦める。
その度に私は「そんなことないですよ」と優しく同調はするものの、胸の内では呆れたように溜め息をついていた。
先程も言ったが、私は30年も生きていない。
確かに10代の頃に比べたら体力もなくなってきたし、腕も上がらないし、筋力もなくなってきたと思う。
覚えた漢字だって書けなくなってきたし、さっき言われた事も三歩歩けば忘れていたりする。
それでも、アラフォーに比べたらまだマシな方なのかもしれない。
だが、それだけ譲歩したとしても、私はそんなことを口にする人間が好きではない。
若くないから物覚えが悪い、と思うのであれば、それ相応の努力を陰でしているのだろうか。
例えば私がそつなくパソコンを使いこなしているのが、それは全て学校の授業だけで学んだと思うのであれば、それだって大きな間違いだ。
タイピングの技術なんて、毎晩の家で打ちまくった賜物なのだ。
「私には無理だわ~しんどわ~」と言いながらごろごろ寝転がってテレビを見ていたわけではないのだから、当然の結果だ。
今だって、忘れやすくなってきたからすぐにメモを取るようにして、後で別のノートに書き写す努力をして覚えているくらいだ。
もちろん、そうやって言い訳ばかりの人間は何も努力はしないし、かなりの確率でこういうタイプは仕事が長続きしない。
だから私は、自分が仕事を教えることになったとしたら、大概誰にでも出来る程度のことしか教えないようにしている。
それすらも言い訳を口にしてちゃんと出来ないのだが…。
本当に、これは損しているなと感じる。
恐らく注意されたって言い訳ばかりで相手の意見を自分に当て嵌めないのだろう。
私の師匠が口を酸っぱくして言っていたことだが、「注意をされなくなったらおしまいだ」とは、まさにその通りだ。
注意とは、相手を思ってこそ出来ることである。
相手に訂正して欲しいからこそ口にするのだが、大概の人は自分が嫌われたくなくて他人に注意など出来ない。
数少ない注意を出来る人は、言い訳ばかりの人間を注意したいとは思えないのだ。
だって、リスク負って自分は注意をしているのに、聞き入れない相手に言うのはただ漠然と疲れるだけだから。
注意をしてもらえる人間になることこそが、人間関係の上で一番大切なことだと私は思う。
上っ面だけの関係なんて、本当は疲れるだけなのだから。