目で見たものしか信じない
インターネットは便利だと思うが、自分が賢くないと痛い目を見るということは常々思う。
例えば、インターネットの情報だけを頼りにあれやこれやを信じ込んでいたら、真実を見る目がなくなるということだ。
それを痛感したのは、二十歳になり立ての頃だ。
その頃私はとある動物愛護団体を手伝いをしていた。
予てより保護活動をしたいと思っていた矢先、引っ越した場所の傍に本部があったのだ。
役立ててもらえるほどの募金が出来るわけでもない私は、里親募集をしている犬を自宅で預かる手伝いをしていた。
何頭か預かったある日、とある犬を預かることとなった。
犬を預かっている間、その様子を頻繁にブログに書いて見てもらうようにしていたのだが、その団体が大きなトラブルに巻き込まれて酷いバッシングを浴びたとき、私の方にも火の粉が降りかかってきた。
あまり大きく宣伝していない私の保護ブログは、某有名掲示板に
「犬を返さないように皆で書き込むんだ!」
というたった一言の書き込みで、アクセス数がとんでもなく跳ね上がった。
皆好き好きに書き込んでくれたわけだが、本当に書き込むならタダだなぁと感じる書き込みだった。
例えば具体的に何かを申し出た人など一人も居なかった。
「ドッグフードを送るから」「これを世話代の足しにしてあげて」
なんていう、「私も手伝います」という一言を言えた人は、あんなにも居た人の中でたった一人も居ない。
ただ漠然と「返さないで」という一言しか、本当に書き込まれないのだ。
それ以外にも、あることないこと「あそこはこういう所なんだ」「こんな人が居るんだ」なんて律儀に書き込んでくる人の何人が、本人を目の前にしてその内部を見たのだろうか。
私をバッシングする人は居なかったが、無責任な書き込みに苛立ちながらも、火に油を注がないように努力した書き込みは、後に保護活動仲間たちから称賛されたほどだ。
私は長くインターネットのお世話になっているが、自分で確かめていない信憑性のない発言は、話半分でしか聞かない。
それなのに、これだけ一気にインターネットが普及した世の中、大半の人がネットの書き込み全てを信じ込む。
特に、地震などの天災が起きた時は、悪乗りする輩が本当に多いのに、元を辿ることすらもしないでリツイートをする人が多すぎる。
いい年した大人が情けない、と。
二十歳になりたてのガキはあの日呆れたのだ。
情報を発信するからには、例え匿名の世界であろうとも、責任を持って発信するべきだと私は思う。
そういうのがわからない人たちは一度、痛い目を見るしか無いのだろうか。