向かい合える大人に

まだ子育てとは程遠い私にも、育てるならこうしたいという思いはある。
言うなれば、母のようにはならないということだ。

もちろん、うちの母は決して悪い人ではない。
父を早くに亡くした私と弟を、看護師という昼も夜も関係のない仕事をして、女手一つで真っ当にここまで育ててくれるような、尊敬できる人だ。
そういう意味では、母のような立派な人間になりたいと考える。

考える反面、母のような教育はしたくないと思った。
母は子供と向き合うことが出来ない人だった。

述べたとおり、昼も夜も関係のない仕事をしていた母は、殆ど家には居なかった。
居ないので、会話をすることが全くない。
たまに休日に休みがある時も、何処かへ出掛けたいと言えば「疲れてるから!」と叱られてしまうので、休日、折角家族が揃ってもしーんとした部屋でひたすら昼のワイドショーを見て過ごす居心地の悪さと苦痛は、私が自室を与えられたと同時に解消された。

部屋に籠りだすと更に拍車がかかったのだが、親と会話することが全くなくなったのだ。
学校のことも友達のことも、小学生の頃から一言も会話してこなかった。
小さい頃から対話をしてこなかったので、私は人へ頼ることが出来ず、それは今でもこれからも変わらない。

そもそも、何を話せばいいのかわからなかった。
たまに話しかけても邪険に扱われ、中学生の初めてのテストで90点以上取った答案を見せても御座なり方をした私は、良い事も悪い事も本当に何も話さなくなった。

母と会話しないことが平気だった私は小学生の頃から《おひとりさま》も平気で、決して友達が居ないわけでもないのだが、常に一人でふらふらと遊んでいた。
もちろん、同じ育ち方をした弟も同じ穴のムジナだ。

中学生の時、私が学校で揉め事が起きて学校を休みがちになった時に、ぎゃーぎゃー文句を言っていた母に、私は何があったか話さなかった。話せなかった。
心配した担任がいよいよ我が家にやって来た時に、全てを母に話したようで、事の重大さを知った母が初めて私と向かい合おうとした。
「お母さんだけはお前の味方だから」と言う前提のもと、「最近何があったんだ」と聞いてきた。

私は「何もないよ」と答えた。
答えるしかなかった。
だって、学校に行かなければ何もない、そうやって自分で全て解決してしまっていたのだ。

母はあの日すごく勇気を出して私と対話を望もうとしたが、もう既に遅かった。

対話が出来なくても平気だった未成年時代とは違い、成人になると人に頼らずに何か出来ることがぐんと減った。
なのに、私は人に頼ろうともしないし話そうともしない。

例えば小さい頃、母が私と向かい合って「今日はなにをしたの?」と聞いてくれていれば、私は自分のことを話せる人間になっていたかもしれない。
特にこの共働きが増えている世の中、同じような子供が増えていると思う。

自分の意見を押し付けるのは我儘で、相手の話を聞いた上で結論が出せるのが教育だ。
叱るときだって、叩いたり物を投げたり力づくでやるのではなく、目を見て叱れるのが教育だ。

母を反面教師にした上で、もし子供を育てる立場になった時に、私は対話の出来る大人でありたいと強く思った。

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