私の中では笑い話ではない
昔から口が達者で、納得行かなければ納得いかないとすぐ口にするのが性分だった。
義務教育までは大人しく日陰で育ってきた私も、高校になるとクラス替えがなかったために三年間担任だった相手には常に食って掛かった。
しかし担任は国語教師で、昔から国語の成績の良い私に対し、「なんだかんだ言っても○○さんは僕の授業を真面目に聞いてくれてるので、僕のことが好きなようです」と通知表に書くほど、事あるごとに変な愛情表現で近付いてくる。
正直何が原因で口論したのか全く思い出せないくらい思春期特有の八つ当たりも相俟って、更に私が部長を勤めた直後に「君のためだから」と言って私の部活の顧問になったものだから、気に入らなければ口を出して反論した。
経験もない競技の顧問になったわけだから、叩けば幾らでも反論の余地がある。
ある日、夏休みの部活のスケジュールの組み方が納得いかなくて、終業式の後に長い間体育館で口論したことがあった。
「嫌です」「納得いきません」の一点張りの私を納得させる理屈を述べることが出来なかったのは、思春期真っ只中の子供の言い分を差し引いても、顧問兼担任の力量の無さだったと思うけど、つらつらと理屈を述べる私に腹が立った相手がついに手を挙げて、私の頬を掠めながら後ろの壁を殴った。
一瞬頭が真っ白になった私も、言葉でどうにもならないからといって手を上げる教師の態度に頭に来て反撃しようとしたが、その一瞬の間で周りに居た傍観者たちが一斉に唾を飛ばしながら私に食って掛かる教師を取り押さえて、私はというと友人に両脇を固められて教室へと連行された。
小さな学校なのでたちまち噂は広がり、顔も会わせたくない私は部活をサボり、副顧問の先生から心配されて「相談に乗るからね」とメールアドレスを書いた紙をこっそり渡してもらった。
それから数日後のことは正直よく覚えてないけど、ある日私が校長室に呼ばれて、校長先生とその件について話すこととなったのだが、なんか最終的に「○○先生も悪気があったわけじゃないから」「ちょっと熱心すぎるところがあるから」と教師を庇う言い方をしていたことだけ感じて、さっさと話を終わらせたくて話を合わせて私は部屋を出た。
大人になった今でこそわかるけど、まあ勿論学校が非を認めるわけがないのだ。
あと、よくよく考えると、私の背後にある、ちょっと有名な祖父の存在が大きくて、他の生徒にはなかったのに校長自らが出てきたのかもしれない。
私の言い分は顧問が嫌いという前提の我儘だったので、大人側の言い分は最もだとは思っていたから、その事を祖父に言ってどうにかしてもらうつもりは毛頭なかったし、祖父は私のことで動くことが無いのは知っているし、その出来事が母の耳に届いた時は笑いながら私に聞いてくるくらいなので、むしろそっちの方が頭に来た。
ただ、教員という人を教える立場であるからこそ、口で我儘生徒を納得させられる程の説得力があるべきだろうし、私は今でもあの日殴られそうになったことは納得できずに居る。
だから、人生において尊敬できる教師なんて、好きだった小学校二年生の担任くらいしかはっきり名前と顔を覚えていないのです。