好きと嫌い
我が身が可愛いのは生きている上で優先されて当然の感情だけど、自分中心で世間体も気にせず、周りが見えなくなるのはどうかと思うことが増えてきた。
例えばペットを飼っている人。
私も例外なくその1人なのだが、ドッグカフェなどに行くと、マナーの悪い人が増えたなぁと感じることが増えた。
ペットブームでペットを飼育する人が増え、伴ってマンションが増えたこともあり、ペットを室内で飼育するのが当たり前になった。
室内で飼育すると、室外で飼育するよりも関係が密になり、毛が舞おうが土まみれになろうが平気になる。
食卓に涎を流されようが、食事中に目の前で排泄されようが、ペットを飼って
だけどそれは、明らかなマナー違反。
世の中の人すべてがオールオッケーではないのに、飼っている人ほど感覚が鈍って当たり前になっている。
私も犬を飼っていて、汚れた犬を洗ったり、他人の犬の排泄物や嘔吐物も平然と片付けるような仕事をしているけど、仕事をしているからこそ、飼っていない人のことも考える。
だから、レストランの椅子に平然と座らせることも大嫌いだし、食事の場で愛犬が粗相しないように徹底する。
幸い、こんな私が飼っている愛犬は一切そんなことはしないけど、汚れたままの足やお尻が自分家ではない場所の椅子に平気で座らせる飼い主が大半だ。
それを注意しない店側も、同じ同業者として私は考えられない。
一言注意書をしているならまだしも、店側もマナーの悪い飼い主の延長だったりするから、そういう所ほど長くは続かない。
そういう感性の人が増えているから、強行手段の立ち入り禁止の看板が公園に立てられたりもするけど、それでも気にしない人間は本当に構わず平然と入るのだ。
だからこそ、ペットを飼っていない人はどんどん動物が嫌いになっていく。
今の一例はペットの話だったが、それは逆に幼い子供連れの親にも言えることなので、勘違いしないでほしい。
私は子供が居らず、子供が欲しいという願望もなく、どちらかと言えば子供は嫌いだ。
我が身が可愛いからこそ、人間は人間には優しい。
犬が吠えると怒られるのに、子供が泣き喚いて暴れても仕方ないと一言で片付ける。
子供が嫌いな人も居るということを踏まえて考える人は、ペットを飼っている人よりも極端に少ない。
子供嫌いなんて居なくて当たり前と思っているかもしれないが、子供が泣き喚くのは仕方ないにしろ、その後ずっと泣かせっぱなしではなく、人混みであれば移動するとか、少しでも周りに配慮を見せる姿があればこちらとしても気持ちは違うが、それをしない親ばかりが世の中には多い。
その段階から躾ではなく注意のひとつもしておけば、子供ながらに良いことと悪いことの区別も付くのではないだろうか。
私は子供が嫌いだからこそ嫌いな側の立場に立てるが、ペットが嫌いな人も同じように感じているかと思うと、その分配慮もしやすい。
そうやって互いに気遣いをしていくと、もっと住みやすい世の中になるはずなのに、最近の日本人はその辺りが薄れてきているようだ。