閉鎖的な世の中

アルバイトの学生の辞めるサイクルが早いので、職場で十代の子と関わる機会が増えたのだが、一貫して言えることは世間の狭い子が多いなぁということ。

というのも、TwitterやFacebook、Lineなどを通して人との交流が昔より多いものの、SNSのような閉鎖された空間で友人登録した特定の人間とだけ繰り広げるやり取りや、気に入らない人はブロックして更に自分は鍵をかけてしまえば関わらずに済むTwitterや、自分の好き嫌いで人を選んで付き合えるものが世の中に横行していることで、若者の世界はどんどん狭くなっているように思う。
勿論、人間関係なんてものは気の合う人と築くのはどの時代でも同じだけど、嫌いな人は根刮ぎ立ちきってしまって作り上げる世界はただの偏りでしかない。
私がそれを感じたのはmixiが流行っていた時代なのだが、SNSの閉鎖空間に入り浸るのが嫌で、周りが皆mixiをしていた時には既に止めていた。
嫌いだったり合わない人と関わることでメリットなんて殆ど無いとは思うけれど、ただそういう人間と関わることで自分の価値観を少しだって変えることのできる機会があったりもする。
対立して頭ごなしに「もう顔もみたくない!」と思ってしまっても、頭を冷やして客観的に考えると、自分の間違いが見えてくることもある。
最近出会う学生の子達の話を聞いていると、学生だけでLineのグループを組み、気にくわない上司を馬鹿にして楽しみ、共感できないと言った気に入らない人間は仲間から外しているそうだ。
そこで共感しない人間は上司の意見を聞き、グループの人間たちは気に入らなければその場でLineを発信する。
そんな人間はいつの時代もいるけれど、一番の問題は閉鎖的な空間に慣れているせいか、対話が全く出来ない。
思っていることは口にせず、顔を見せずに済む世界だけで肩で風をきって歩いている。
人の顔を見なければ相手の本心が見えないことなど多いのに、今の若者はそれすらも出来ず、偏った世界で偏った持論を展開し、臭いものには片っ端から蓋をして臭わないように徹底する。
注意されないように、指摘の声を聞けないように、自分の世界を作っていく。
もう拍車がかかっているのでどうしようもないけれど、私はそれが凄く勿体ないし気の毒だなぁと感じる。
勿論私にもそんな時期があり、周りの大人たちにそうやって思わせていたこともあっただろう。
だけど今、大人たちの立場になって思うことは、切欠を与えてくれた大人たちに感謝をしているし、そういう機会を若者たちに与えることが出来ればと思うけれど、対話も出来ないし自分の世界に気に入らない者を入れない若者たちにそういう機会を与えることの出来る大人は、今の時代にはなかなか居ないのかもしれない。

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