食物アレルギー

親のお陰で病院知らずの体で生まれた私も、小さい頃から抱えていた蕎麦アレルギーのお陰で、何度か病院にいくことがあった。
今のこの食物アレルギーの子供が少なくない時代には想像もつかないだろうが、私の小学生の頃は給食に平気で蕎麦が出たりした。

無論、事前の書類か何か『蕎麦アレルギー』と記載されていた私だけは饂飩を用意されていたのだが、全校生徒の中で唯一の饂飩のせいか、周りから「なんで!」「僕も饂飩がいい!」と散々言われたのは、今でも忘れられない嫌な思い出だ。
私が小6の時、他にも蕎麦アレルギーの子が入学したということで、蕎麦を出すことはなくなった。
アレルギー云々が深刻だと取り沙汰されることも増えたが、それでも今は恵まれている方だと思ってほしい。
しかし、給食がなくなっても、私に蕎麦の脅威は常に訪れる。
ある時はお土産のお饅頭。
ある時は友人の家に遊びに行った時に出た和菓子。
ある時はお洒落なお店で出てきたお茶。
日本にいる以上、蕎麦の脅威から逃げることは出来ない。
先日も、蕎麦の花をプランターで栽培している民宿に宿泊しただけで、目が赤く腫れた。
いつしか表記が義務づけられ、徹底した会社が作る菓子には個別包装にまで成分表が書かれるようになった。
アレルギーに優しい世の中にはなりつつあるが、それでもアレルギーで病院に運ばれる人の多くが、周りの不注意であることに変わりはない。
そもそもアレルギーの人間は、きちんと自己管理が出来ているものだ。
幼馴染みに子供が生まれ、久し振りに会ったときにこう言われた。
「今まで申し訳ないことをした。」
「食物を買うときに成分表を見るようになったけど、滅茶苦茶しんどい。」
幼馴染みの子は、卵アレルギーを発症していたのだ。
卵アレルギーに比べると、蕎麦アレルギーなんて大したことはないのだが、20年来の友人に謝られるとなかなか恥ずかしい。
よく「アレルギーって治るんでしょ?まだ無理なん?」と言われることもある。
それはアレルギーでないものに、「薄めた毒薬なら平気でしょ?飲める?」と言っているに等しいので、言わないように注意してほしいと切に思う。
蕎麦が食べれなくて損したことは一度もないので、別に治らなくてもなんら問題はない。
そしてまた今日も、私はスーパーの商品の成分表とにらめっこをして、間違い探しのように『蕎麦粉』という文字を探していくのだ。

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