あいさつのできない大人

あのひと、ぶつかったのにごめんねっていわなかった。
そういって大泣きした娘は、大人のマナーにとてもうるさい。
信号無視などもってのほかである。

横断歩道で止まっていると、赤信号なのに、わたってしまう大人がいる。
横断歩道を歩いていると、自転車でその中をわたる人がいる。
そんな様子を見ると、娘は、大きな声で私にそれを告げ口する。
もちろんマナーを守っていないのは大人のほうだ。
だから、小さい子供言われた大人はちょっと恥ずかしそうにする。
わたしもいつ、子どもから見られているかわからないと思うと、今まで以上にマナーを守るようになった。
あいさつもしかりだ。
エレベーターで一緒になったおばあちゃんにあいさつをしたら、とっても褒められたという。
それから、あいさつ好きになってしまった娘は、ことあるごとに、大きな声であいさつをする。
大抵は、あいさつを返してくれるのだが、たまに返してくれない人がいる。
多いのは、若い男の子とおじさんだ。
若い男の子もおじさんも、ちょっと気恥ずかしいのかもしれない。
でも娘のためには、ぜひ返事を返してほしい。
自分からいわなくてもいいから、あいさつをしてくれるのは、娘にとってはとってもうれしいことのようだ。
頭を下げてさえもくれない社会性を疑うような人もいるのは事実だ。
それでも娘は負けずと毎日、大きな声であいさつをしている。

気まずい時間

相手から嫌われているのかな?と思う瞬間は、誰にでもあることだろう。
挨拶をしたときの表情が曇っていたとか、書類を受け取るときに目を合わせられなかったとか、そんな些細なことで、「良く思われていないのかも」と思ってしまうことがある。

私はメンタルが強いのが長所であり短所であるので、良く思われていないことにすら気がつかない鈍感な部分がある。
だからあまり人に嫌われていると思ったことがないのだ。
ただ、ご迷惑や仕事上で手間をかけさせたときなどは、さすがにこちらのことをどう思っているのか、気になる。
普段気にしない性格の反面、気になり出すと疑心暗鬼の世界だ。

なにかを依頼するときに面倒だと思われないかとか、そんなことを考えて、ついには顔を合わせるのすら気まずいと思ってしまう。
普段マイナス思考にならない分、こういうときに対処方が良く分からない。
しかし、たいていの場合は、というかすべての場合、杞憂に終わる。

挨拶してくれないと思っても、こちらはいつもと変わらず笑顔で明るく接することで、何事もなかったかのように接して下さる。
心底ほっとする瞬間だ。
数日悩んでいたことは一体なんだったのかと恥ずかしくなる。
逆に考えると、自分もそのように思われていることはよくあるだろう。

相手から挨拶をしてくれたときに、考え事をしたり急いでいるとき、挨拶もそこそこに、という態度になってしまう。
きちんと足や手を止めて、目を見て挨拶をすれば良いものの、それが出来ないときがある。
すると、相手は私の表情などを見て「嫌われているのかな」と感じてしまうかもしれない。
相手を悩ませないためにも、気まずい時間を作らせないためにも、表情や挨拶には気を付けよう。

«
»