気持ちだけはグローバル
先日、念願だった土地に海外旅行へ行く機会があったのだが、その土地への押さえきれない好奇心と、あわよくば現地の人とお近づきになれる期待を胸に旅立った。
結果、私はツアー内容通りの素敵な思い出と写真、会話した現地の人はツアー関係者のみという現実を噛み締めて帰国することとなる。
それもそのはずなのだが、そもそも私はその土地の言語など、挨拶程度しか出来ない。
そんな外国人とお近づきになりたい現地の人間など居るはずもなく、期待したロマンスなんてものが始まるわけもなかった。
ある人から、外国語を覚える一番いい方法を教わった。
ずばり、覚えたい外国語を母国語とする外国人を恋人にすることだ。
相手は日本語が喋れないなら尚良し。
そうすれば嫌でも自分は外国語を覚えることが出来るらしい。
確かに的を得た方法だなとは思ったが、まずそんな人と知り合うこと自体が難しい。
一番効率のいい方法はインターネットなのだろうけど、そんな理想のジェントルマンを探しにネットサーフィンをする根気と行動力もない。
知人の紹介を期待しても、私の知人の伝はアジアかインド方面の人ばかりで、ありがたいことにお付き合いを申し込まれた事が幾度かあったものの、全てお断りさせていただいた。
何処かに私の理想のヨーロピアンな方は居ないだろうか。
そもそも世界に多くの言語があるのがややこしい。
人と人が交流しようと思ったら、手っ取り早い方法が言語による会話である。
犬のように、おやつを片手に「オテ」といって握手を出来るような便利な習慣は、ホモサピエンスには持ち合わせていなかった。
猫のように尻尾の振り方で気持ちが伝えられたらどれだけ便利だろう。
あーだこーだというくらいならさっさと駅前留学でもしに行けばいい話なのだが、結局最後は「日本で生きていくから日本語だけで平気か」と開き直る。
私の海外デビューはまだまだ先が遠い。
いつ行くの駅前留学
ある切欠で、知人の店で働くことになった時期があったが、そこがスリランカ料理のレストランだった。
英語が喋れなくても大丈夫だからと言われて働いたものの、そんなわけにもいかずに、訪れるインドやスリランカやネパールやアメリカや…数多くの外国の方々には本当に苦しめられることとなる。
そんな店で働いている以上、ぶわーっと、さも当然のように英語で話しかけられるもんだから、いつだって私はにこにこ笑いながら首を傾げるしかなかったわけで。
向こうからしたら、「えっ!こんな店で働いてるのに英語喋れないの?」と思って当然なのだけど、そこは日本人で申し訳ない。
しかしそんな私も長く勤めることで、常連のインド人たちの個性がわかってきて、「オーケーオーケー」だけでも相手の希望を聞くことが出来るようになってきていた。
勤めていると、段々相手の言葉を理解できないことが申し訳なくなり、特にインドは土地柄なのか、ランチメニューの内容にまで「あれはいらないから、これにして」と細かく指示をくれるようになったのだが、十人居れば十人がメニューの改変を要求するので本当についていけないこともしばしば。
流石に私の研ぎ澄まされたボディランゲージも限界を迎え、調理場からシェフを読んで対応してもらうことも少なくなかった。
意思疏通が出来ているようでなかなか出来ない。
海外の人とのコミュニケーションはいつまで経っても難しい。
スリランカの店を辞めたらもうそんな苦労をせずに済んだけれど、それでも道を歩いていると肌の黒い外国人に話しかけられる回数は人よりも多い私なので、道の真ん中で研ぎ澄まされたボディランゲージを駆使して単語単語の道案内をせざることは今でもかなりあったりする。
いい加減覚えろと、何人もの外国人に思われているのだろう。