子供たちの辞書にあるコラムがいいね
最近の幼児用の辞書は、どちらかといえば、読み物のようになっている。
もちろん、なにかしらべることもできるが、そこから知識が広がるように工夫されている。
それがおもしろくて、ついつい私も読んでしまう。
子供たちに人気のマンガのキャラクターがいろいろな知識を教えてくれるというのが、最近の辞書の立ち位置である。
面白いことに、普通に調べ物をするのではなく、そのままどんどんはまってしまう。
ひとつの言葉を見つけると、そこから芋弦式に、読みたい情報がでてくるからである。
そういえば、以前、広辞苑という分厚い辞書を持っていた。
小学生の高学年になったとたんに、父が私にあたえたのが、この辞書だったのである。
しかし、これはむずかしすぎる。
ひとつの言葉の意味をしらべようとしても、その書いてあることがわからず、またひくしまつ。
やることは、いまの子供たちと同じでも、知識は広がったとは言えない。
大人になってくると、この広辞苑が、面白い読み物になった。
いろいろな知識を得ることができる。
子供たちにとっての辞書もそうなのだろう。
私が特に好きなのは、あちらこちらにちりばめてある雑記である。
ちょっとした面白い話や、おこぼれ話などが書いてあって、こどもたちの興味もそそられる。
そこだけひろって読むこともあって、たのしいことこの上ない。
私の子供の頃にこんな辞書があったら、きっともっと勉強頑張ったかもとついついおもってしまう。
コラムニスト
私を含め私の友人達は、国文学を修めている人が多いです。
そのためか、皆自分の考えを話したり、他人の意見を聞いて議論したりということが好きです。
最近は顔を突き合わせて議論することは減りましたが、代わりにメールなどでそういった話をすることが増えました。
よく話すのは、朝に見た情報番組で扱われていた内容や、新聞、雑誌のコラム欄に載っていた話などについてです。
基本的にコラムニスト等の意見に異を唱えてばかりいます。
先日も、朝の番組で扱われていた、学生の不登校について激しく議論をしました。
コラムニストは不登校そのものが問題、という話をしていました。
私は「不登校になることを許して助けようとする親が居るならまだまし。
問題なのは不登校の子と向き合わない親や、不登校になることすら許さない親だ」という意見でした。
友人も似たような意見でしたが、友人の母親が違う考え方だったらしく、友人がどうやったら母親に理解してもらえるのだろう、と悩んでいました。
毎回結論は出ないのですが、たまにこうして頭を全部使って色々考えて、それを言葉にして相手に伝える、ということをするのは、とても大事なことだと思います。
バイト先などで時々思うのですが、最近は自分の意見を持たない人が多い気がします。
自分が何をしたいか、どう思うかをしっかりと言えない人を見るといらいらしてしまいます。
自分の意見をしっかりと持って、しかしそれを他人に押し付けない、ということが大事なのだと思います。
私自身、まだまだこれからたくさんの人の意見を聞いて、自分の意見を磨いていかねばならないと考えています。