パソコンの中で過ごした十数年

インターネットを始めた切欠は、ただ単に母親がミーハーで、使いもしないノートパソコンを我が家に迎えたことだった。

今でこそ、若い内からパソコンに触れることが出来る時代とは違い、私が自らキーボードを叩いたのは中学三年生の夏だった。
もちろん、私の時代も《情報処理》という教科はあり、小5くらいからパソコンを触れることはあったのだけれど、我が家にパソコンが来るまで私は情報処理の授業が数学と並ぶくらいに嫌いだった。
英語の授業を受ける時と同じように、「こんなこと覚えたってどうせ使わない」なんて考えていたこともあった。
プログラマーになるつもりも、OLになるつもりもなかった私には魅力を感じることがなかったからだ。
そりゃそうかもしれない、毎時間毎時間言われたことをやらされているコンピューターの時間の何が楽しいのだろうか。
しかし、ここに来て話はかわった。
私の家にパソコンが来たのだ。
生まれて初めて自分の力でたどり着いたホームページは、某海外キャラクターの公式サイトだった。
掲示板に、日参していた私は、古参の方々と並ぶほどハンドルネームが有名になって、憧れる人や私を(良い意味で)真似する人が出ていた。
そして私は、いつしか掲示板から姿を消すことになった。
掲示板のやり取りで慣れたころ、次に私が目をつけたのはチャットだ。
当時は使い放題なんて便利なネットワーク社会ではなかったので、22時以降の「テレホタイム」に、夜な夜なチャットをして楽しんだ。
周りについていこうと必死でタイピングをしていたら、いつしか負けないくらい早くなった。
私がチャットと共に過ごした十数年を語ろうと思うと、本1冊書けるかもしれない。
それらの多くの出会いや別れ、《リアル》ではなかなか経験させてもらえないことも数多くあった。
勿論、異性トラブルにも巻き込まれたし、同性に愛の告白をされたこともあったし、(悪い意味で)真似する人も居た。
ただ、それでも現実にトラブルが起きなかったのは、頑なに個人情報を一切晒さなかったことにあると思う。
色々諦めていた母が、唯一口を酸っぱくして私に言っていたことだ。
では、この十数年を振り返ってみて何が残っただろうと考えてみる。
考えてみた。
現実と同じ、残されたものはほんの一握りの利益と、大半を占める黒歴史の数々だった。
英語と同じほど情報処理の授業に意味を見いだせなかった少女は、普通科の高校ではあったけれども、選択授業はプログラミングを専攻するほどコンピューターに魅せられていた。
高校を卒業した私は、コンピューター関連の大学へと、進まなかった。
私の情報処理の成績は、所謂オタクの男子と学年1位の座を争うほどで、教師たちは「てっきりこのままパソコンを使う仕事に就くつもりかと」と呆気にとられながら話された面談はいい思い出だ。
現に、私と成績を争っていた男子は、まっとうにコンピューター関連の大学へと行って、今もそれらしい仕事に就いている。
私が目指したのは、キーボードを叩かない仕事だったのだ。
私が進んだ専門学校でも、情報化社会だからと情報処理の授業があった。
正直言って、すごく下らない時間だった。
だって、ワードやエクセル、パワーポイントなんて、義務教育で皆教わってきたはずなのに、「わからなぁい」という女性の声が飛び交う教室ほど、私に苦痛な場所はない。
この専攻を選んだ以上、プログラミングを学んだことも情報処理で学年順位を争ったことも、まるで関係のないステータスではあったけれど、wordで3ページの文章仕上げるのを丁寧に60分教える授業は、たぶん中学生でもあくびが出るほどだと思う。
60分かけてやるノルマを私は10分で終わらせて、残り50分はパソコンに内蔵されたタイピングゲームをひたすらやって過ごしていた。
そのお陰で、私の着く席の記録はすべて私の名前で塗り替えられたのだが、ある日たまたまた訪れた図書室で「パソコン室のタイピングのやつ、殆どが○○ってHNの奴で埋まってるのって知ってる?」なんて学校の七不思議さながらの噂をされていたのを耳にして友人くすくす笑ったこともあった。
けれどあの日、あの中学三年生の夏に、我が家にノートパソコンが来なかったのであれば、英語と同じく情報処理に意味を見いだせないままの私で居たとしたら、同じように「わからなぁい」と先生に手を挙げていたかと思うとゾッとする。
そう思うと、ミーハーな母親に感謝することがまた一つ増えた。
働き出した私も、もちろんキーボードなんて趣味でしか触っていないけれど、年配の方からの、名刺やチラシ、ホームページの運営の依頼がちょこちょこ来ることもある。
プログラミングなんてとうの昔に忘れてしまったけれど、色々と思い出したくもない失敗から学んだスキルが今の生活に役立っている。
家電量販店でバイトしていた時も、販売員の人たちから「早いなぁ」と褒められたブラインドタッチだったけど、昔はそれを鼻にかけていた私も、「無駄なスキルですよ」と鼻で笑うようになった。
自分の仕事には殆ど役に立たない。
だからやっぱり、英語と同じで、
「使わなければ役に立たない。けど、使えば役に立つ。」
というスキルなんだなぁと、いま改めて考える。
そんな私の手の平には、インターネットを通じて知り合った十年来の数人の友人との繋がりだけが握られているだけだ。

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