鞄の中の様子と成績

塾や家庭教師をしていた頃、子供たちが持ってくる鞄の中の様子と子供の成績は比例したように思います。
前回わたしたプリントを、きれいにすぐに出す子。
以前に渡したプリントと一緒に整理されている子。

その一方、宿題にしていたプリントさえなかなか鞄から出てこず、あげくにグチャグチャになったプリントを出してくる子。
一緒に一つ一つプリントを整理してあげなければならない子。
様々でした。
でも、プリントがよく整理されている子、以前のプリントさえもすぐに出してこれる子というのは、成績もいいように思いました。
また、3人兄弟で教えていた時の事、同じ環境、同じ親に育てられているにもかかわらず、ある子は鞄の中はきちんと整理されていました。
でも、ある子は教科書もプリントもぐちゃぐちゃ。
兄弟でもいろいろでした。
それは男女の差というわけではありません。
上の男の子は、まあまあ整理されている鞄。
真ん中の女の子は、かなりぐちゃぐちゃの鞄の中。
そして一番下の女の子の鞄はよく整理されていました。
そして、一番したの女の子と上の男の子は、成績は良かったです。
しかし真ん中の女の子は、伸び悩んでいました。
色々な学年の子を見てきましたが、やはり鞄の中の様子と成績は絶対と言いませんが、かなり比例していたように思います。
そして、きっとかばんの中の様子は、家のその子の机の様子、またその子の部屋の様子とも言えたのではないでしょうか。
鞄の中の様子は、その子の性格、そして日常生活の様子を垣間見させてくれる面白いものです。

勉強した後に待っている将来への保障

子どものころに勉強しておけば、保障された生活が大人になって待っていると言うのは本当なのでしょうか。
私はよく親から「勉強しないと好きな職業に就けないよ」と言われるのですが、疑心暗鬼になってしまいます。
勉強が直接その仕事に結びつくわけではないと思っているからかもしれません。

勉強自体に興味もないし、成績はそこそこでもトップとまではいかない中の上。
少し点数が落ちただけで、順位がガクッと下がってしまいます。
きっと、私の点数の数点の差に中の上の生徒がたくさんいるからでしょう。
自分の頭の中身を数字で表されて、順位をつけられて、評価される。
その評価で行ける大学、就ける職業が変わる。
そんな社会ってすごく魅力的ではないと思ってしまいます。
それでも、私がこの道を外せないのはきっと外すだけの自信がないからです。
ここから外れてしまったら、どのような未来が待っているかわからないし、保障してくれる将来が親の言うようになくなってしまうかもしれません。
でも、私って言う人間を数字や偏差値で表さないでほしい、これが本音。
こんなシステムおかしい、もっと人としての私を見てほしいと思うのですが、そうなったときに大学側はどうやって人の優劣を付けて合否を決めるのだろう…そう思うと、やっぱり人間性で評価されてしまう方がきつい様な気もします。
だけど、どうせ評価するなら学力ではなく人となりを見てほしいと思う私は、この社会がつくったレールから外れることもできずに、ただ勉強する毎日です。

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